明治維新の事実上の精神的理論者
吉田松陰平戸遊学
 吉田松陰(しょういん)(1830〜1859)は、長州藩の武士の子ととして萩に生まれました。名は矩方、通称:寅次郎といいます。
 1850(嘉永3)年8月 21才で山鹿流兵学を学びたいと平戸を訪れました。平戸滞在は53日間(9月14日から11月6日)だったそうです。
 その目的は、山鹿流の山鹿万助のもとで学ぶこと、そして葉山鎧軒(左内)を頼って、左内の教えも受け、左内を通して山鹿万助に会うことでした。
 
8月25日  早朝、萩をたつ
8月29日  舟で九州に渡る
9月 2日  佐賀に着く
9月 3日  嬉野・大村、古賀、矢上を経て、9月5日長崎に着く。
        9月11日まで滞在し、オランダ船に乗船し見聞を広める
        また、洋酒やスープ・パンも試食する
9月13日  八里の山道を雨で迷いながら、江迎の庄屋に泊まる。
9月14日   平戸に着く。宿が見つからず、左内の紹介で浦の町の紙屋に落ち着く。それから、53日間、左内と万助を師として学ぶ

 松蔭は平戸から帰って、1856年8月、近親弟子のために武教全書(山鹿素行著)の講義を行い松下村塾の基となりました。明治維新のころ、松蔭の教えを受けた高杉晋作、桂小五郎、山縣有朋、西郷隆盛、大隈重信など、平戸市田助で廻船問屋をしていた多々良幸平の家で度々密談を行いました。松蔭の影響を受けてl、彼らは平戸に関心を抱いたのかもしれません。
 現在、平戸市浦の町の田原石工店は、当時紙屋と称する店で、松蔭の滞在中の下宿跡です。平戸遊学のとき、土産として持ってきた茶の湯・茶碗は松浦歴史資料館に今なお残っています。

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